旅する情シス Season 3 #10 赤ペン
情報システム部では、毎週、業務報告を上司に提出することになっていた。
先週やったこと、今週やること、課題や懸念事項。
それを紙に書いて、先輩のチェックを受けて、長嶋課長に提出する。
毎週月曜日の朝、9時までに。
最初は軽く考えていた。
報告書なんて、営業時代にも書いてきた。
先週の訪問件数、商談の進捗、来週の予定。慣れた作業のハズだった__
最初の業務報告を書いて、中田さんに提出した。
翌朝、赤ペンで直されて返ってきた。
「主語がない」
「この文、何をしたのか分からない」
「句読点の位置がおかしい」
「改行の位置を揃えること」
「誤字」
__そんなに、おかしかったか
正直、少しむっとした。
内容は合っているはずだった。アクセス権の対応状況、マリ電算との打ち合わせの結果、来週の予定——
事実は全部書いてある。
でも、毎週、赤ペンで返ってきた。
4週間が経っても、赤ペンが止まらなかった。
ある週、中田さんが通りがかりに言った。
「三浦さん、この文、主語ないですよ」
「『マリ電算と打ち合わせを実施した』って書いてあるけど、誰がやったんですか。
三浦さんが一人でやったのか、課長も同席したのか、それとも別の誰かが対応したのか、読んでも分からない」
文章を見た。
確かに、書いていなかった。
「行の開始位置もバラバラです。読みにくい」
中田さんは言いながら、少し楽しそうだった。
この人は、人の粗を探すのが好きなんだ。
でも——言っていることは、正しかった。
それが、一番腹立たしかった。
ある夜、帰り道で思った。
僕は、文章が書けない人間なのか。
営業報告書は書いてきた。
でも、それは数字と訪問先と商談状況を埋めるだけだった。
情シスの業務報告は違う。何をした、誰が決めた、何が課題か——
そういうことを、正確に言語化しなければならない。
向いていないのかもしれない。
翌朝、長嶋課長に聞いた。
「なぜ、業務報告にそこまで厳しいんですか」
長嶋課長は答えた。
「要件定義書を書いたことを覚えているか」
「はい」
「あの書類に、主語のない文章があったらどうなる」
考えた。
「……開発会社が、何を作ればいいか分からなくなります」
「そうだ。『処理を実行する』と書いてあっても、誰が実行するのか、何が実行するのかが分からなければ、システムは作れない」
長嶋課長は続けた。
「画面設計も同じだ。情報の並び方が整理されていなければ、使う人間が迷う。
報告書の行の開始位置が揃っていないのと、画面のレイアウトが乱れているのは——同じことだ」
報告書を見た。
赤ペンだらけの紙が、違って見えた。
書くことは、設計することだ。
報告書も、要件定義書も、画面も——全部、誰かに伝えるための設計だ。
主語がなければ、誰が動くか分からない。行が揃っていなければ、どこを見ればいいか分からない。
読む人間が迷わないように書く。それが、設計だ。
それから、業務報告の書き方が変わった。
主語を必ず書く。誰が、何を、いつ、どうしたか。一文ずつ確認する。
行の開始位置を揃える。句読点の位置を意識する。誤字を見直す。
最初は面倒だった。でも、続けていくうちに、習慣になった。
習慣になった頃、気がついたことがあった。
要件定義書を書くとき、自然に主語を書くようになっていた。
仕様を説明するとき、「誰が、何を、どうする」という構造で話すようになっていた。
マリ電算の担当者との打ち合わせで、「その処理の主語は何ですか」と確認するようになっていた。
中田さんは、業務報告を通じて、要件定義書の書き方や画面設計の見方を教えてくれていたのか。
中田さんの指摘がなければ、僕は主語のない要件定義書を書き続けていたかもしれない。
開発会社が何を作ればいいか分からず、手戻りが起きて、利用者に迷惑をかけて、会社のコストを無駄にしていたかもしれない。
あの赤ペンが、それを防いでいた。
確かめる方法はなかった。でも、そう思った。
ある月曜日、業務報告を提出した。
赤ペンが、一本も返ってこなかった。
中田さんが、通りがかりに一言だけ言った。
「いいんじゃない」
それだけだった。
書庫の片付けから始まって、3年が経っていた。
一つずつ、地べたから積み上げてきた。
ミスをした。怒られた。変えられなかった。落ち込んだ。
でも——3年前の自分より、確かに前に進んでいた。
会計システムの仕事もやらせてもらえるようになっていた。
中田さんとも、時々談笑するようになった。
そして、異動の辞令をもらった。
次回 Season 4 #1「辞令」
新しい課にいくことになった、そににいたのは___