旅する情シス Season 3 #6 平穏


帳票出力時間変更のミスから、1ヶ月が経っていた。

あの日以来、僕は何かを変えた。

変更の依頼をするとき、必ず関係する処理を一つずつ確認するようになった。

面倒でも、時間がかかっても。橘さんに怒られたあの顔が、確認を省こうとするたびに頭に浮かんだ。



長嶋課長から、新しい仕事の概要を聞いた。

「帳票の伝送方式を変える必要がある。HULFTに移行してくれ」

HULFTという言葉を、僕は初めて聞いた。

「……HULFTとは」

長嶋課長は少し間を置いてから、丁寧に説明してくれた。


_HULFTとは、サーバーとサーバーの間でファイルを安全に送り届けるためのソフトウェアだ。

メールの添付ファイルのような仕組みを、もっと大量に、もっと確実に、もっと安全にしたものだと思えばいい。

銀行や流通の現場で長く使われてきた、信頼性の高い仕組みらしい。


説明を聞きながら、半分くらいは理解できなかった。

でも、分からない、とは言えなかった。また中田さんに見られている気がして。


「資料を読んでくれ」と長嶋課長は言って、席に戻った。


資料を開いた。専門用語が並んでいた。

分からない言葉が、また並んでいる。

少し、うんざりした。でも今回は、うんざりしている場合じゃない、とすぐに思い直した。


前回の失敗が、頭にあった。

資料を読みながら、帳票の全体像を整理した。

本社のプリンターから出力されているのは、急ぎの帳票だけだった。量は少ない。

毎朝僕が仕分けしていたのは、その一部に過ぎなかった。


大量の帳票——何十種類、何千枚という量——は、外部の出力会社が印刷して、各拠点に配送していた。


__そういう仕組みだったのか。


毎朝、棚に並べていた帳票の束の向こうに、そういう世界があった。

データセンターのサーバーが夜中に動いて、外部の会社のプリンターが大量の帳票を吐き出して、トラックで全国に配られていく。

僕が触れていたのは、その末端の、ほんの一握りだった。


僕は何も知らなかった。

その自覚が、じわりと広がった。


要件定義書を書いた。

今回は前回のCSV化より、書く量が多かった。

伝送元のサーバー情報、伝送先の外部会社の環境、ファイルの形式、転送のスケジュール、エラーが起きたときの対応手順。

一つずつ、丁寧に整理した。


帳票出力時間変更の失敗が、頭にあった。

関係するシステムや業務への影響を、一つずつ洗い出した。

影響がありそうな部門には、事前に確認を取った。

確認を取るたびに、少し緊張した。また橘さんのような人に怒られるかもしれない、と思って。


でも、怒られなかった。むしろ「確認してくれてよかった」と言われた部門もあった。

事前に確認する、ということの意味が、少し分かってきた。

あの失敗が、ここに繋がっている。そう思うと、橘さんに怒られたあの時間も、無駄じゃなかった気がした。



テストは、外部の出力会社で行うことになった。

電車とバスを乗り継いで、工業団地の中にある建物に着いた。

案内されたフロアに入った瞬間、僕は少し立ち止まった。

大型のプリンターが、何台も並んでいた。どれも本社にあるものとは比べ物にならない大きさだ。

ラインのように流れてくる帳票を、スタッフが手際よく仕分けして、封筒に入れて、段ボールに詰めていく。

これが、帳票の現場だった。


本社の棚に並んでいた帳票は、ここから来ていたのか。

端末の前に座って、テストを始めた。

最初の項目は問題なかった。

2番目の項目を確認したとき、画面にエラーメッセージが表示された。

HULFTで送られてきたデータが、正しく届いていない。ファイルの一部が欠けていた。


__え。


冷静に答えたつもりだったが、手が少し震えていた。

マリ電算に電話した。状況を説明した。保留になった。

その数分が、やけに長かった。

外部会社の担当者が、僕の横で静かに待っていた。

また、誰かに迷惑をかけるのか。

橘さんの顔が浮かんだ。


マリ電算から折り返しがきた。

「ファイルの転送設定に誤りがありました。修正します」

設定が修正されて、再テストをした。

今度は問題なかった。


担当者が言った。「問題ないですね。切り替えできます」

テスト結果報告書に完了の記録をつけた。



帰り道、バスの窓から工業団地を眺めながら、思った。

今日、エラーが出たとき、僕はどうしたか。

焦った。でも、手順通りに動いた。確認して、連絡して、待った。

橘さんの一件があったから、焦りながらも動けた気がした。

失敗は、次の失敗を防ぐ練習になる。

そう思うことにした。


でも——思うことにした、というのは、まだ腹に落ちていないということかもしれない。


書庫で埃を払っていた頃、この景色は想像もしていなかった。

ここで働いている人たちが、毎日この帳票を出力している。梱包して、トラックに積む。


___画面の向こうに、いつも人がいる。


前回、橘さんに怒られて初めてそれを腹で感じた。


今日、この工場で、もう一度それを感じた。


分かったつもりでいても、また忘れる。


だから何度でも、思い知る必要があるのかもしれない。


次回 Season 3 #7「エレベーター」

1億円の仕事が来た。50台のプリンターを、30支店に届ける。

でも最初の壁は、技術ではなかった。