旅する情シス Season 3 #7 エレベーター
_ある朝、長嶋課長が静かに言った。
「三浦くん、ドットプリンターの買い替えを担当してくれ」
_ドットプリンターとは、紙に細かい点を打ち付けることで文字を印字する、古いタイプのプリンターだ。
インクジェットやレーザープリンターが主流になった今も、
複写伝票——カーボン紙を挟んで一度に複数枚に印刷する伝票——を扱う現場では現役で使われていた。
ベル商事の各支店では、会計帳票の出力にこのプリンターを使っていた。
「何台ですか」
「20支店に、40台」
「……予算は」
「1億円」
僕は少し、息を呑んだ。
書庫の片付けから始まって、帳票の仕分け、CSV、ITパスポート、帳票出力時間変更、伝送方式変更。
一つずつ積み上げてきた。でも、金額の桁が違った。
__1億円。
「分かりました」
答えながら、心臓が少し速くなっていた。
まず、候補となる後継機種を調べた。
メーカーに問い合わせると、複数の候補が出てきた。ス
ペックを比較した。印字速度、耐久性、消耗品のコスト、保守費用。
営業時代に叩き込まれた「数字で比較する習慣」が、自然に動いた。
でも、今回は数字だけじゃなかった。
ベル商事の会計帳票には、締め切りがある。
支店で会計処理が終わり、帳票が出力されて、物流会社に渡るまでの時間。
その時間に間に合わなければ、当日の物流が動かせない。
帳票出力時間変更のとき、橘さんに怒られたことを思い出した。
印字速度が遅い機種を選べば、帳票の生成時間が延びる。
物流の締め切りに間に合わなくなるかもしれない。
候補の各機種で、帳票の生成時間をテストした。
実際に帳票データを流して、出力完了までの時間を計測する。
カタログスペックではなく、実際の帳票で確かめる。
テストをしながら、思った。
この数字の向こうに、物流会社に電話をかける誰かがいる。
機種が決まった。
印字速度と5年間のトータルコストを両立できる機種だった。機種選定によるコスト削減効果は、数百万円になった。
長嶋課長に報告した。
「よく調べた。この方向で進めなさい」
機種が決まったら、展開を担当する業者を選んだ。
サコ電気という会社だった。
IT機器の設置・展開を専門にしている会社で、全国の支店への展開実績があった。
最初のミーティングで、サコ電気の担当者——田所さんという40代の男性——が言った。
「まず、各支店の現地調査が必要です」
「現地調査、ですか」
「プリンターが、搬入できるかどうか確認しないといけません」
搬入できるかどうか?
「エレベーターに入るか、ですか」
田所さんは少し笑った。
「それも含めて、です。エレベーターのサイズ、廊下の幅、設置場所までの動線。
プリンターは重いですから、養生も必要です。フロアの床材によっては、傷がつく」
そういうことか。
IT機器の展開は、データの話だけじゃない。物理的な話だった。
重量、サイズ、動線、床材。現場の細部が、全部関係してくる。
30支店への現地調査が始まった。
田所さんのチームと一緒に、いくつかの支店に同行した。
ある支店では、エレベーターの幅がギリギリだった。
プリンターを縦にして、角度を変えながら搬入することになった。
ある支店では、設置場所までの廊下が狭かった。
台車が曲がれないため、手で持ち上げて運ぶことになった。
ある支店では、床材がタイルだった。台車のキャスターで傷がつく可能性があった。養生シートを敷いて搬入することになった。
一つとして、同じ支店はなかった。
田所さんは毎回、メジャーを取り出して寸法を測った。写真を撮った。メモを取った。
「田所さん、なぜそこまで細かく確認するんですか」
田所さんは答えた。
「当日に問題が起きると、支店の業務を止めることになります。現地調査で全部潰しておく。それが俺たちの仕事です」
画面の向こうに、いつも人がいる。
田所さんは、それを体で知っていた。
展開スケジュールを組んだ。
30支店、50台。全部を一度に入れ替えることはできない。支店ごとに日程を決めて、順番に展開していく。
スケジュールを組みながら、気をつけたことがあった。
月末は会計処理が集中する。
月末に搬入すると、支店の業務を圧迫する。月初は給与処理がある。各支店の業務サイクルを確認しながら、搬入日を決めた。
これも、ジョブスケジュールと同じ発想だ。処理が動いている時間に、割り込まない。
パイロット導入を3支店で実施した。問題なかった。
順次展開を進めた。
展開が始まって3週目、ある支店で問題が起きた。
現地調査では「エレベーターに入る」と記録されていた。
でも当日、プリンターを横にして乗せようとすると、わずか2センチ足りなかった。
田所さんが静かに言った。
「三浦さん、調査の記録、もう一度確認できますか」
記録を見た。寸法の数値が、実際と違っていた。
田所さんのチームが測った値ではなく、僕が事前に支店に電話で確認した値だった。
支店の担当者が目測で答えた数値を、そのまま使っていた。
僕のミスだ。
田所さんは静かに代替案を考えた。プリンターを分解して搬入できるか。階段で運べるか。
結果的に、階段で運ぶことになった。田所さんのチームが、重いプリンターを4人がかりで階段を上った。
その間、僕は何もできなかった。ただ、見ていることしかできなかった。
50台、最終的には予定通りに完了した。
田所さんに報告すると「お疲れ様でした」と言ってくれた。
でも帰り道、あの階段のシーンが頭から離れなかった。
田所さんのチームが、重いプリンターを階段で運んだ。僕のミスのせいで。
1億円の仕事を任された。でも、まだ足りないところがある。
それを、この日初めて、腹から感じた。
展開が完了した、という達成感と、田所さんに余計な苦労をかけた、という罪悪感が、同じ重さで胸にあった。
お金を動かすということは、人の仕事を動かすということだ。
帰り道、電車の窓に映る自分の顔を見た。
1億円分、成長できたのか。
答えは、まだ出なかった。
次回 Season 3 #8「ノート」
変えられないものがある。正しくても、動かない人間もいる。三浦、初めて「人の壁」に本当の意味でぶつかる。