旅する情シス Season 3 #9 それぞれの正しさ


その日、長嶋課長が課のメンバーを集めた。

「監査から指摘が来た」

「システムのデータのアクセス権が、適切に管理されていないという指摘だ」

室内に、静かな緊張が走った。


__アクセス権とは、システムのデータを誰が見られるか、誰が変更できるかを決める設定のことだ。

マスタとは、システムの中で基準となるデータのことだ。 

商品マスタ、取引先マスタ、社員マスタ——

それらのデータを誰でも変更できる状態になっていると、不正や誤操作のリスクがある。


「三浦くん、対応を担当してくれ」

部屋の視線が、一斉に僕に集まった気がした。

「はい」

答えながら、手が少し緊張した。書庫の片付けとは、違う種類の緊張だった。



翌朝、マスタの項目一覧を確認した。


500項目 ……多い。


これら全てに対して、アクセス権を設定しなければならない。

権限グループは3つだ。

担当者権限、課長承認権限、部長承認権限。この3つを、15部門それぞれに設定する。

500項目 3権限 15部門。

頭の中で計算した。


__膨大だ。これが、情シスの仕事か。


でも、やるしかなかった。深呼吸して、表を作り始めた。


華やかではない。でも、誰かがやらなければならない仕事だ。



まず、各部門を回った。

「各部門が使うマスタ項目はどれか」「誰が更新権限を持つべきか」「承認フローはどうすべきか」


営業時代、クライアントの話を聞いて回ったことを思い出した。

あのときと同じように、まず聞く。まず知る。


でも、営業のときとは違った。


「そんな細かく決める必要があるんですか」と面倒そうにする部門。

「ようやくちゃんとした管理になりますね」と歓迎する部門。

「うちの課長は承認する時間がない」と現実的な問題を出してくる部門。


そして——ある部門の部長が、僕の説明を途中で遮った。

「ちょっと待って」


製造部の橋本部長だった。

60代、白髪混じりの、この会社で30年以上働いている人だと聞いていた。


「現場を分かって言ってる?

 担当者が変更申請を出して、課長が承認して、部長が最終承認——

 そんな手順、毎日の業務でいちいちやってられないよ」


「でも、監査からの指摘でもありますし——」


「監査?監査のために仕事してるんじゃないよ、うちは」


橋本部長の声が、少し大きくなった。

「情シスってのはさ、いつもそうだよ。

 上からの指示を持ってきて、現場に押しつける。

 現場が回らなくなっても、自分たちは関係ない。そういう部署でしょ」


言葉に詰まった。

違う、と言いたかった。

でも、何も言えなかった。



帰り道、橋本部長の言葉が、頭から離れなかった。

___情シスってのは、いつもそうだよ


以前、別の部門の担当者に言われた言葉と重なった。

___情シスって、いつもそうじゃないですか。


二度、同じことを言われた。


僕は、何かを間違えているのかもしれない。


長嶋課長に相談した。


一通り話し終えると、長嶋課長はしばらく黙っていた。


「橋本部長は、正しいと思うか?」

「……はい。現場の実態を無視した設計だったと思います」


「じゃあ、監査の指摘は?」

「それも、正しいと思います」


長嶋課長は静かに言った。

「両方正しいとき、どうするか。それが情シスの仕事だ」


僕は黙っていた。


「リスクの高いマスタだけを厳しく管理する。

 毎回3段階の承認が必要な項目と、担当者だけで変更できる項目を、分けて設計してみなさい。

 監査の要件も満たして、現場も回る。

 その答えを出すのが、お前の仕事だ」


席に戻って、資料を見た。


設計をやり直した。1ヶ月の作業が、半分は無駄になった。


でも今回は、無駄だとは思わなかった。


橋本部長の言葉があったから、この設計になった。

怒鳴られたから、正しい答えに近づけた。


画面の向こうに、いつも人がいる。

その人の仕事を守ることが、情シスの仕事だ。


書庫の片付けのとき、長嶋課長が言っていた言葉が、また別の形で腹に落ちた気がした。


課内レビューで、中田さんが言った。


「この部門の設定、おかしくないですか。権限の粒度、細かすぎませんか」

「各部門と合意した内容です」

「理屈はいいです。現場が回るかどうかの話をしています」


今回は、少し違う感覚があった。


中田さんの言っていることは、橋本部長の言葉と似ている。現場が回るかどうか、という視点は正しい。

でも——


「中田さん、具体的にどの部門のどの設定が問題だと思いますか。教えてもらえれば、修正します」


中田さんは少し詰まった。

「……全体的に、です」


「全体的に、では修正できません。具体的に教えてください」


長嶋課長が静かに割って入った。

「三浦くんの設計は、各部門と合意済みだ。進めなさい」


中田さんは何も言わなかった。


以前の僕なら、黙って受け流していた。今日は、少し違った。

橋本部長の怒りは、現場を守りたいという信念から来ていた。だから、受け止めることができた。


中田さんの言葉は、何を守りたいのか___分からなかった。


全15部門との合意が取れたのは、2ヶ月後だった。


最後の部門は、橋本部長の製造部だった。

修正した設計書を持って、もう一度訪ねた。橋本部長は資料をじっくり見た。

しばらく沈黙が続いた。


「……これなら、回せるな」


それだけだった。でも、それで十分だった。


長嶋課長に完了を報告した。


「お疲れさん。これが、データ管理の入り口だ」

「入り口、ですか」

「ああ。一度設定して終わりじゃない。

 毎年見直して、変化に合わせて更新し続けるものだ。今日設定したものが、来年も正しいとは限らない」


僕は資料を見た。500項目。15部門。3権限。


これを、毎年やるのか。

「やる意味は分かったか?」

「はい」

「どんな意味だ?」


僕は少し考えてから、答えた。


「誰が何をできるかを明確にすることで、不正を防ぐ。責任の所在をはっきりさせる。それが、会社を守ることにつながる」


長嶋課長は静かにうなずいた。


それから、少し間を置いて言った。


「橋本部長に怒鳴られたこと、無駄じゃなかったろ」

「はい」

「怒鳴る人間は、何かを守りたいから怒鳴る。

 その『何か』を理解できれば、情シスの仕事は半分できたようなものだ」



帰り道、ふと思った。


原田さんのノートも、同じだったのかもしれない。

あのノートは、原田さんが10年かけて作り上げた「守りたいもの」だった。

変えたくなかったのは、頑固だからじゃない。あのノートに、原田さんの10年が詰まっていたからだ。


__誰が、何を、できる状態にするか。


情シスの仕事は、システムを管理することだけじゃない。

人を理解することだ。

その言葉が、頭の中で静かに響いた。


まだ、言葉にしきれていない。

でも——何かが、変わり始めた気がした。



次回 Season 3 #10「赤ペン」

毎週月曜日、赤ペンが返ってくる。書くことの意味を知る。